やまとの少しニッチな日記

徒然なるままに~自分の体験談を中心に、思ったことを綴っています。

大阪・関西万博の海外パビリオンは愛知万博を手本にするのか!?

太陽の塔

 大阪万博、今回はEXPO70のほうね。

 いわゆる1970年に大阪で開催された博覧会の記憶はほとんどないけれど、各国のパビリオンが子ども心に魅力的に見えて、いつまでも記憶に残っているのだ。アメリカ館、スイス館、ソビエト館、オーストラリア館等々。特に、オーストラリア館なんかは、その形や大きさを鮮明に覚えている。なぜならば、大人になってからも見ているからなのだ。オーストラリア館は、大阪万博終了後に三重県四日市市に移設され、オーストラリア記念館として公開され、2005年に開催された愛・地球博愛知万博)のオーストラリア館で展示されていた巨大カモノハシも、愛知万博終了後にここに運ばれて展示されていたのである。しかしこのオーストラリア記念館は残念ながら2014年に取り壊されて現存していない。

 世界各国で開催されている万博を一般博と特別博に区別すると、日本で最初に開かれた大阪万博、その35年後に開催された愛知万博、そして2025年に開催される予定の大阪・関西万博の3つが一般博となる。※制度が何度も変わっているので、呼び方とか区別とか定義などもいろいろと変わっているかも知れないが、僕が記憶している基準ではこの3つを一般博として捉えている。

 で、一般博では各国が自前でパビリオンを建設する形になっているということを昔どこかで教えてもらったことがあったので、2005年の愛知万博では各国のパビリオンが楽しめると、めちゃめちゃ期待していたのである。

 しかし時代は変わるものである。

 各国が自由に様々な形のパビリオンを建設し、見ているだけで華やかな会場内を楽しめると思っていたのが、グローバルコモンという形でエリアごとに外国館が集められ、その建物もリユースしやすいモジュール方式と呼ばれる建物を博覧会協会が建設して、全ての国にその建物の使用をお願いする形で開催されたのでした。

 これからの環境保全を考えた新しい取り組みだったようですが、僕にとってはちょっと残念で寂しく思った記憶があります。

 でも、この5年後に開催された上海万博では、各国が奇抜なデザインのパビリオンを競って建設したことから、広大な敷地にいろんな形の建物があって、写真を撮ったりスタンプを集めたりして楽しむことができたのは幸いでした。

 今、大阪・関西万博では海外パビリオンの建設申請がいまだに出てこないと騒いでいて、ついに大阪府の吉村知事まで「各国自前でのパビリオン建設にこだわらない方がいい」との認識を示すなど、大きく揺れています。

 なぜ、50以上もの国が揃いも揃って未だに建設申請をしないのかが不思議ですが、何をするにも慎重でスピード感がなく、しかも過去の慣例から判断しがちな役所の基準からみると『間に合わないかも知れない』とヤキモキしてしまうんでしょう。

 挙句の果てには、あれやこれやと救済措置を考えてくれているのかも知れないけれど、上海万博で自前のパビリオンを建設した実績がある国は、まだまだ出さなくても大丈夫だろうって思っているんでしょうかね。

 このままいけば博覧会協会が先回りして、『海外パビリオンはすべて会場内をパーテーションで区切ったブースでの出展でお願いします。』って言い出しかねないかと、いささか心配で夜も寝られないのである。