「21世紀への手紙」という書籍をご存じだろうか。ポストカプセル328万通のはるかな旅という副題がつけられた書籍である。
35年前に日本で初めて開かれた万博では、タイムカプセルが埋められ、西暦6970年、つまり5000年後に開けられる予定になっている。同じ物が二つあり、もう一つは西暦2000年に開かれ、以後100年ごとに開封されるとのこと。
このタイムカプセルにアイデアを借りたのか、筑波科学博においてポストカプセル郵便というのがあり、328万通もの手紙が16年の時を経て21世紀の元旦に人々に届けられている。
この話題はしばらくいろんなマスメディアで取り上げられて話題になっていたが、その後ポストカプセル郵便コンクールが実施され、応募された作品を何点か紹介したのがこの本なのである。
この本を読んで一番胸を打たれたのが、手紙が届いた時の気持ちを綴ったもの。思いがけず届いた手紙にとまどい、驚き、そして感動する。まさにそういったドラマが、ここに紹介されている人達だけでなく、全国で実に多くの人を巻き込みながら繰り広げられたのだろうと想像するにはそう難しくない。
今はこの世の人でない人から自分宛に届いた手紙。。。幽霊からの手紙なのか? 元旦の朝、状況を理解できるまで、しばらく時間がかかった人。。まさに、涙なしでは読み進むことができない内容が綴られていた。
アナログの手紙はすばらしい。何がすばらしいかというと、肉筆で書かれているから。今でこそワープロが普及しているため、手紙であってもプリンターからの出力というケースが多いが、筑波科学博の時代はまだまだワープロが出だした頃。当然、ほとんどの人が直筆で手紙をしたためている。
「宛先には見覚えのあるあの人の肉筆。。。」
この一言だけでも、ものすごいインパクトが感じられる。
宛先がプリンターで出された綺麗な文字だったら、おそらくこんな感情は沸かないであろう。ましてや、手紙ではなくこれが電子メールだったら。。。
世の中、電子メールのおかげで瞬時に情報のやりとりができるようになったけれど、手紙が持っている魅力は、このポストカプセルで見事に証明されたような気がする。
ポストカプセル。。。筑波博からちょうど16年後が21世紀だったことから、保存期間は16年になったが、この16年という年月は非常に微妙な年月であったと書かれているし、ぼくもそう思う。
10年だと少々短いし、10年後の姿はある程度予想がつく範囲でもある。小学生1年生だった子はまだ高校生にしかすぎない。しかし、16年となると、成人してしまう年月なのである。60歳の老人は76歳。生きているかどうかわからないという出だしで書き始めるのも無理ないことであろう。とにかく、偶然の年月であったにしろ、16年というのはいい空白期間だと思っている。
さて、なぜこんな話題をだしたかというと、当然、日本で35年ぶりに開かれる愛知万博においてもこのような企画があるだろうと思っていたからである。
しかし残念ながら、まだこういった企画に巡り会えていない。
もしかすると、この愛知万博ではこういった未来に夢を託すといったことは行わないのかもしれない。
なぜか?
それは、日本の将来に夢が持てない時代になったから?
いやいや、こういう無駄をするゆとりそのものがなくなったから?
昔、郵政省が行ったポストカプセルは、いまや民営化の嵐が吹き荒れ、郵政公社になった。今回の筑波博のケースでも、16年先の郵便料金を取ることができず、当時の40円切手のまま届けられている。そのようなリスクを誰が負うのか。下手したら株主訴訟に持ち込まれてしまう。危なくてこういう企画なんか出せたものではない。あれは、官公庁だから出来た技かも知れない。
じゃあ、政府がすればどうか?
この万博は環境をテーマにしている。すべて土に帰ることができるよう、食器にもトウモロコシを使ったりして工夫している。そのような配慮を行っているなかで、土に帰らないような異物を何十年も埋めておくとはどういうことか!とお叱りを受けそうである。
せちがらい世の中になったものだ。^^;
もし、当時の筑波博にもう一度行けることができるのなら、その時は必ず21世紀の自分に宛てた手紙を書いて来よう。。。そう思った一日でした。
公式入場者数:113,801人(5月2日22:00 最終) / 総入場者数2,912,179人
やはり、月曜日のジンクスは生きていました。
なんと、開幕以来の最高入場者数の更新は、またしても月曜日でした。
これで目標達成に向けて、明日からの大型連休後半の入場者数にはずみがつきそうです。
明日、開幕以来の総入場者数が300万人を超えます。
またしても会場で祝うことができなかった。_| ̄|○ガクーリ