やまとの少しニッチな日記

徒然なるままに~自分の体験談を中心に、思ったことを綴っています。

三重県人チェック その35


● ものごとすべて、伊勢神宮のおかげである。

この設問は厳しいな。神様に感謝するという気持ちはあるけど、ものごとすべてか?と言われると、そうでない場合もあるんじゃないかと。

しかも神様=(イコール)伊勢神宮という発想も短絡過ぎると思うし。
でも、あんまり否定すると罰当たりと言われそうで怖いし・・・。

ということで、ノーコメント!

三重県人チェック その34

● 石油コンビナートの煙突の白い煙が雲につながってるのを見ると綺麗な白だぁと感動する反面雨が怖い。


三重県四日市市には石油コンビナートが存在します。瀬戸内海ほどの規模はないとは思いますが、小学校の社会の授業で習うほど、有名な事実であります。岐阜県滋賀県山梨県には、恐らくこういうコンビナートがないんじゃないかな〜〜。というのも、コンビナートの立地条件として、タンカーが停泊できる港が近くに存在することって学習したものだから・・・。意に反して、海に隣接していない県で、コンビナートが存在しているところがあったら、教えてね!!

で、四日市市には塩浜というところがあって、昭和40年代の頃は頻繁に光化学スモッグが発生して大変だったらしい。教科書に、「ガスマスクをはめて登校する小学生」の写真が載っていましたが、本当だったのでしょうか。恐ろしい時代だったんだなぁ・・・。

今は昔よりかなり高くなった煙突のおかげで、工場から排出された煙は、上空を流れる風に乗って遠くに拡散されるため、コンビナート周辺に漂うことは少なくなったようです。

また、厳しい環境基準が課せられているため、煙突から排出される煙そのものも、昭和40年代の煙とは全然違うものと思われます。

雨が怖いというのは、酸性雨のことを言っているのだと思われますが、以上のことより、それほど気にする必要はないでしょう。

三重県人チェック その33

● 鳥羽一郎の「兄弟船」の歌碑の前で記念写真を撮ったことがある。

ええっと、実をいうと ないです!!(笑)
でも、この歌碑の近くで記念写真を撮ったことがあります。

っていうか、多分この設問は「兄弟船」じゃなく、「兄弟酒」だと思うんですけど・・・。
というわけで、「兄弟酒」の歌碑という前提でお話ししますね。もし、三重県に「兄弟船」の歌碑があったら教えて!!


さて、この歌碑がどこに設置されているかというと、鳥羽と志摩を結ぶパールロードという周辺の景色が大変美しい全長24キロほどの有料道路(現在は一部の路線で無料)がありまして、そのパールロードの途中に鳥羽展望台という休憩所があります。

この展望台は標高165mの太平洋を見下ろす箱田山頂上にあり、ここからの眺望はパールロード随一で神島、渥美半島や、天気しだいではるかに富士山やアルプスまで遠望でききます。また、正月は初日の出の名所として知られています。

ここに鳥羽一郎「兄弟酒」の大きな歌碑があるわけですが、名前を見たらわかるとおり、鳥羽一郎が地元出身ということでここにたてられたものです。

たしかこの歌碑の前に立つと、曲が流れたような記憶がするんですが・・・。曲目はもちろん「兄弟酒」でしょう。 ^^

三重県人チェック その32

● しかし大山田団地から名古屋への直行バスを出しているのは許せない。


需要があるから運行しているんであって、別にいいんじゃない。

ところで、大山田団地ってどこにあるんだ!?

三重県人チェック その31


● 年配者にジャスコのことを聞くと「岡田屋」と訂正される。

これはなかなかマニアックな設問ですな。
ジャスコっていっても、今は知らない人がいるかも。イオンといったほうが通りがいいかな。三重県出身の国会議員に岡田氏がいるが、彼はジャスコ創業者の息子です。
ここまで書いたら、ピンとくるかたがいるかもしれませんが、ジャスコという社名になる前は、岡田屋という呉服店だったらしいのです。
その呉服店四日市市にあり、ジャスコに社名変更した後でも地元の人達は「ジャスコ岡田屋」と呼んで親しんでいたそうです。その後、商売が繁盛してジャスコも大きくなり、全国展開を図り、今はイオンという名称で親しまれています。

よって、地元の年配者はいまでもジャスコのことを岡田屋と呼んでいるかも知れません。^^;
ちなみに、ジャスコ発祥の地、四日市の岡田屋は繁華街にあったのですが、郊外店が栄えだした今般においてはその存在意義を問われ、残念ながら取り壊されてしまって今は残ってはおりません。

三重県人チェック その30

● ”〜やね””〜やなぁ””〜やん””〜だぎゃぁ””〜やけん”と友達によって語尾が違う時がある。

友達によって語尾を変えることができるほど器用ではないので、気分によって適当に使っているといったところかな。

ところで、「だぎゃぁ」なんて言葉、いつ使うんだ!?

三重県人チェック その29

● 昔「三重まつり博'94」に行き、何だかハジケきれてない印象だけ受けて帰ってきたことがある。

もう、10年前のイベントになるんですよね、このまつり博。
伊勢市で行われたまつり博は、当時の地方博ブームにのって計画され、実施時期としては後期なんですよね。周りでは、岐阜の中部未来博や名古屋市のデザイン博なんかがあり、少々食傷気味だったのかも知れません。

で、肝心の内容なのですが、まつりをテーマとしたこともあり、日本各地から、また世界各国からのまつりを誘致し、アリーナで行われていました。そもそも、まつりというのは、その土地柄に密接に関係しているものであり、それを場所を変えて、さあ、まつりの再現だ!っていっても、なかなか盛り上がるものではないですよね。

まつりというものは、昔から行われているその土地で、その期間に、地元の人達によって行うから魅力があるのであって、ぼくはまつりの出張っていうのはあまり好きではないですね。なんか、今ひとつ魅力に欠けるような気がします。そういう意味ではハジケ切れていない博覧会だったのかも知れませんが、全国各地のまつりを身近でみれるという意味では大変有意義であったのかと思います。

例えばぼくが行ったときに、熊本県山鹿灯籠まつりがイベントとして行われておりまして、頭に灯籠を乗せて踊る人達を間近で見ましたが、それ以来、熊本県のイベントなどでこの灯籠まつりにふれた記事やポスターを見かけるたびに思い出してしまいます。
実際、熊本県まで行かなければ見れなかったまつりが、地元三重県で見れたというのは、このまつり博の功績だったのではないでしょうか。

まつり博の最終日はスペインの三大祭の一つとされるバレンシアの火祭り(ファジャ)を再現し、紙と木材だけで作られた人形が燃やされるという、なかなか見応えのある企画だったのですが、雨が降っていたんですよね、この日。
最終日ということで友達たちと訪れていたんですが、何もすることがなくてアリーナで西城秀樹のコンサートを見ていました。^^

ようやく夜になり、火祭りをみようと広場に行ったのですが、雨のせいか、いまひとつ人形の燃えが悪かったようで、燃えさかる炎を想像していたぼくとしては、いささか拍子抜けしてしまいました。しばしの間、秋の花火を楽しんで、生燃え!?の人形を横目にしながら帰路につきました。

あれから10年。まつり博が開催された場所は有効利用の決め手がないまま、今もひっそりとアリーナだけ残されています。