佐渡本間家能舞台の見学の後、近くにあった牛尾神社に行きました。私は走行中の道路から鳥居が見えたのでそこから入りましたが、どうやらこの参道は裏参道だったようです。
この牛尾神社は格式高い神社だそうで、拝殿には見事な彫刻が施されており見ごたえがありました。また、県の有形民俗文化財にもなっている能舞台での演能の歴史も古く、県の有形文化財になっている能面が社宝として保管されているようです。
さて、いよいよ「トキの森公園」にやってきました。
今の時間は午後1時。このトキの森公園に入場するには、環境保全協力費として大人400円を支払います。公園内には「トキ資料展示館」と「トキふれあいプラザ」があり、それらの施設は無料で見ることができます。
最初に入ったのは、「トキ資料展示館」。
ここで、トキの保護増殖や野生復帰の取り組みなどの展示資料を見て廻りました。また、トキのはく製も多数展示しており、私が最初に出会った朱鷺は、はく製姿の「キン」でした。
このキンは日本の野生生まれ最後のトキなんです。
最後の一羽になってしまった頃を知っているだけに、生きている間に見たかったなぁという思いがこみ上げてきました。(2003年10月に死去)
このあと、このはく製と一緒に記念写真を撮りました。
続いてミドリのはく製も展示されてました。
このミドリは1981年に日本にいる野生の朱鷺5羽をすべて捕獲したときの朱鷺で、唯一のオスでした。メスの朱鷺とのペアリングが試みられましたが、残念ながら一度も成功することなく、日本の朱鷺は絶滅への道を歩み始めたのでした。
足に付けられている識別用の足環の色が緑だったので、「ミドリ」という愛称が付けられました。他の4羽も「アオ」「アカ」「キイロ」「シロ」と、それぞれ足環の色にちなんで付けられています。
では、最初に登場した日本の野生生まれ最後のトキの「キン」は、金色の足環の色にちなんでつけられた愛称なのでしょうか?
そうなのかなぁ~!?なんて一瞬思いましたが、1968年に宇治金太郎さんという方に保護されたそうで、「キン」という愛称は宇治さんの名前にちなんで付けられたそうです。
この「洋洋」は、1998年に中国から『トキのつがい』が贈呈された際のメスになります。ちなみにオスは「友友(ヨウヨウ)」です。
翌年、待望のヒナ「優優(ユウユウ)」が誕生。その後2009年までの11年間で実に29羽ものヒナを巣立たせました。その後、その子孫の朱鷺が繁殖や放鳥が順調に進み、現在では日本の空を500羽を超えるトキが舞うようになりました。
日本で見られるトキは、全てこの「洋洋」の子孫ということになります。そして、この「洋洋」も2023年11月23日に旅立っていきました。
私が「洋洋」のはく製を目にしたのは、亡くなってからまだ1年も経ってなかったんですね。
資料展示館を出ると観察回廊があり、そこから隣接する佐渡トキ保護センターのケージにいるトキを観ることができました・・・が、トキは遠かったです。
このあと、大型ケージの中に自然に近い環境を再現することで、トキが飛んだり、餌を摂ったり、巣作り等、トキの生態が観察できる「トキふれあいプラザ」に行きました。
この施設で長時間粘った挙句、ガラス越しであるものの、ついに目の前でトキを見ることができたのです。本当に私の顔の近くまで寄ってきたので、驚きです。
このチャンスを逃すまいとカメラのファインダーを覗いていたせいで、なんかちゃんとこの目で見てなかったような・・・気もします(笑)
でも、お陰様でこんな写真が撮れました。顔が赤くないのは、まだ今年の6月に生まれたばかりの幼鳥だからです。
他にも、母親鳥と子供鳥の愛くるしい写真も撮れました。
まあ、こんな感じで人生初の生きたトキが見られたことで満足した1日でした。自然界にも500羽以上のトキがいるとのことなので、運がよければ田園に見られるかもという期待も持つことができました。
トキの森公園を出たのは午後3時半を回ってました。
実に2時間半も、この公園内に滞在していたことになります。
次に向かった先は、境内に県内唯一の五重塔がある妙宣寺。
次に向かったのが、真野御陵
正式には「順徳天皇御火葬塚」といいます。
この地で崩御、翌日に火葬されて、その跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚だとのこと。
火葬塚は御陵と同格扱いとなるらしく、管理は宮内庁。だから名称も真野御陵なのかな?
近くに順徳上皇を祀った真野宮があると聞いたので、そちらに向かいます。
この真野宮の隣に変わった形をした建物の「佐渡歴史伝説館」がありましたが、時間の関係で入らずに、本日の宿泊場所である「ふれあいハウス潮津の里」に向かいました。
佐渡島紀行(7)に続く